「科学的に正しい」だけで人は動かない。歯科医が考える、行動変容を促すコミュニケーション術

はじめまして、神奈川県鎌倉市で歯科医をしております、大井美智子と申します。九州大学歯学部を卒業してから30年以上、ずっと診療室の椅子の脇に立ち続けてきました。いまは副院長という立場で後輩たちの指導にも関わっておりますが、正直に申し上げると、長年私を悩ませてきた問いがあります。

「どうして、わかっているのに変えられないのだろう?」

歯周病のリスクを丁寧に説明した。フロスの使い方を何度もお伝えした。砂糖の摂りすぎが虫歯を招くことも、データを示して説明した。それでも3ヶ月後、患者さんの口腔内は大して変わっていない——こんな経験を、歯科に関わるすべての方が一度は味わったことがあるのではないでしょうか。

この記事では、私が30年あまりの臨床経験と、近年学んだ行動科学の知見を重ねながら、「なぜ科学的に正しい情報だけでは人は動かないのか」「では、どうすれば動けるのか」を考えてみたいと思います。歯科医師・歯科衛生士はもちろん、患者さんご自身にも読んでいただきたい内容です。

「正しい情報さえ伝えれば変わるはず」という思い込み

私が若い頃、先輩医師からこんなことを言われました。「患者さんは知識が足りないから変えられないんだ。正確な情報を届けることが私たちの仕事だ」と。当時の私はそれを信じて疑いませんでした。

たしかに、情報が不足しているために適切なセルフケアができていないケースはあります。ですが30年診療を続けてきて気づいたのは、「知っていても変えられない」患者さんの方が圧倒的に多いという現実です。

「砂糖が虫歯の原因だとわかっているんですよ。でも、どうしてもやめられなくて……」
「歯磨きが大事なのはわかっています。でも夜は疲れていて、ついそのまま寝てしまうんです」

こうした患者さんは、知識が不足しているのではありません。変わりたい気持ちと、変わりたくない気持ち(あるいは変われない事情)の両方を持ち合わせているのです。これを心理学では「両価性(アンビバレンス)」と呼びます。この両価性を理解せずに、情報だけを一方的に与え続けても、行動変容にはつながりません。それどころか、逆効果になることすらあります。

人が行動を変えるには「段階」がある——行動変容ステージモデル

行動変容の研究において、広く知られているのが「行動変容ステージモデル」(トランスセオレティカルモデル:TTM)です。1980年代前半にプロチャスカらによって禁煙研究から導かれたこの理論は、その後、食事・運動・口腔ケアなど、さまざまな健康行動の分野に応用されています。

人が行動を変える際には「無関心期」→「関心期」→「準備期」→「実行期」→「維持期」という5つのステージを経ると考えられています。

5つのステージを知る

ステージ状態の目安
無関心期6ヶ月以内に行動を変えようとは思っていない
関心期6ヶ月以内に行動を変えようと考えている
準備期1ヶ月以内に行動を起こす意思があり、既に一部実践している
実行期行動を変え始めて6ヶ月未満
維持期行動変容が6ヶ月以上継続している

大切なのは、このステージが常に順番どおりに進むわけではない、という点です。「実行期」に入ったのに逆戻りしてしまう患者さんも珍しくありません。また、どのステージにいる患者さんも、内心では「変わりたい気持ち」と「今のままでいたい気持ち」を同時に抱えていることがほとんどです。

ステージを無視した指導が逆効果になる理由

ここに、歯科の現場でよくある失敗パターンがあります。

「無関心期」の患者さんに対して、いきなり「では毎食後に3分間フロスをするようにしましょう」と具体的な行動目標を提示してしまうことです。その患者さんはまだ、「自分に口腔ケアを変える必要があるか」という段階に至っていません。準備ができていない状態で高い目標を課されると、人は心理的に抵抗を感じ、かえって変化から遠ざかってしまうのです。

これは、私自身が何度も経験してきた失敗でもあります。

「正したい反射」を手放すことが出発点

行動変容のコミュニケーション術として近年注目されている「動機づけ面接(Motivational Interviewing:MI)」という手法があります。1980年代に米国のウィリアム・ミラーらによって開発されたこのアプローチは、もともとアルコール依存症の支援から生まれ、現在では禁煙、肥満、歯科、育児、そして司法分野にまで応用されています。

MIを学んで最初に突き付けられる概念が、「正したい反射(Righting Reflex)」です。専門家は間違いを見つけると正したくなる——これは医療者として当然の衝動です。しかし、この「正したい反射」に従って「それは間違っています、こうすべきです」と伝えると、患者さんはバランスを取ろうとして反対の立場に立とうとする。つまり、こちらが変化を押しつけようとすればするほど、患者さんは変化への抵抗を強めるのです。

「わかってるんですよ……でも……」という言葉を患者さんから聞いたとき、私はいまでもはっとします。これはまさに、援助者が「正したい反射」に従った結果として患者さんが示す、両価性の表れなのです。

MIでは、専門家が「教える」「説得する」「議論する」スタンスをいったん脇に置き、患者さんが自分の内側にある変化への動機を自ら気づき、言語化できるよう「ガイドする」ことを目指します。変化するかどうかを決めるのは患者さん自身であり、その答えも患者さんの中にある——これがMIの根本的なスタンスです。

歯科臨床で使える動機づけ面接(MI)の基本スキル「OARS」

MIの実践では、「OARS(オールス)」と呼ばれる4つのコミュニケーションスキルが基本となります。

O(Open question)——開かれた質問で患者さんの本音を引き出す

開かれた質問とは、「はい」「いいえ」で答えられない質問のことです。患者さんに語ってもらう場を作ることで、医療者が知ることのできない背景や気持ちが引き出されます。

  • 「歯磨きはできていますか?」(閉じた質問)→ 「はい/いいえ」で終わる
  • 「普段、歯磨きはどのようにされていますか?」(開かれた質問)→ 生活習慣や意識が見えてくる

「なぜ変わらないのか?」と聞くと、患者さんは「変われない理由」を考えます。一方、「どんなときなら続けられそうですか?」と聞くと、患者さんは「変われる可能性」を探し始めます。問いの立て方が、会話の方向を決めるのです。

A(Affirming)——是認で変化の芽を育てる

是認とは、患者さんの行動や努力を認め、価値を伝えることです。「褒めて嬉しくない人はいない」と言いますが、形式的な称賛は「上滑り」します。大切なのは、その患者さんの具体的な言動や取り組みに対して、誠実に反応することです。

  • 「お忙しい中、今日もいらしてくださいましたね」
  • 「前回から少し改善していますよ。何か意識されましたか?」

こうした言葉は、患者さんの自己効力感(「自分にもできる」という感覚)を高め、次の行動変容への足がかりになります。

R(Reflecting)——聞き返しで両価性をほぐす

聞き返しとは、患者さんの言葉を繰り返したり、言い換えたりしながら返す技法です。単純なオウム返しから、感情や意味を含んだ「複雑な聞き返し」まで段階があります。

たとえば患者さんが「甘いものをやめたいとは思うんですけど、なかなか……」と言ったとき。

  • 「甘いものをやめたいとは思っていらっしゃるんですね。一方で、なかなかそうもいかない事情もおありなんでしょうか?」

このように返すと、患者さんは「そうなんです、仕事のストレスがあって……」とさらに話してくれます。患者さんが自分の両価性を言葉にすることで、問題が整理され、変化の糸口が見えてくることがあるのです。

S(Summarizing)——要約で前に進む

会話の中でいくつかの重要なポイントが出てきたとき、それを要約してまとめて返すことで、患者さんは「この人は自分の話をちゃんと聞いてくれている」と感じます。また、変化に向かう発言(チェンジ・トーク)を会話の後半に置くことで、前進の勢いが生まれます。

「今日お話を聞いていて、○○さんは本当はお口の健康を大切にしたいという気持ちがおありなんだなと感じました。お忙しい毎日の中でなかなか習慣化できないというご事情もよくわかりました。その上で、もし何か一つだけ変えるとしたら、何が一番取り組みやすそうでしょうか?」

このように、会話を「患者さんの準備状態」に沿って進めていくのがMIの考え方です。詳しくはシンリンラボの動機づけ面接入門シリーズもご参考ください。

ステージ別・実践コミュニケーション例

ステージに合った働きかけをすることが、効果的な行動変容支援の鍵です。以下に、歯科臨床での具体的なアプローチ例をまとめます。

無関心期・関心期の患者さんへ

このステージにいる方は、まだ変化の必要性を感じていないか、感じていてもまだ先の話だと思っています。ここで「毎日フロスをしてください」と行動目標を伝えても、響きません。まずは情報提供の許可を取ることが大切です。

  • 「お口の状態について少し気になることがあるのですが、お話ししてもよいですか?」
  • 「今日の検査でいくつかお伝えしたいことがあります。どこから聞きたいですか?」

情報提供は押しつけではなく、「選択の機会」として提示します。また、生活習慣を変えることのデメリットだけでなく、変化によって得られるメリットも伝えます。「このまま続くとどうなるか」という恐怖の訴えだけでは、防衛的な反応を生みやすいので注意が必要です。

準備期・実行期の患者さんへ

このステージにいる方は、すでに変わりたいという気持ちが固まり、行動を起こし始めています。ここでは、具体的かつ「その人が続けられる」目標設定が重要です。

  • 「どんな方法だったら、忙しい日でも続けられそうですか?」
  • 「まず一週間、できそうな範囲で試してみましょう。どのくらいならできそうですか?」

大切なのは、目標を医療者が決めるのではなく、患者さん自身が「これならできる」と言える目標を一緒に探すことです。小さな成功体験を積み重ねることで自己効力感が育ち、行動が習慣化されていきます。

維持期の患者さんへ

口腔ケアが習慣化できた患者さんには、その継続を承認し、「逆戻り」しそうなタイミングを事前に話し合っておくことが有効です。

  • 「毎日続けてこられたんですね。何かコツがあれば教えていただけますか?」
  • 「もし出張や体調不良でできない日があっても、どう対処しようと思いますか?」

「逆戻りが起こりうること」を事前に共有しておくと、患者さんが一時的に後退してもあきらめずに来院を続けてくれる可能性が高まります。

「小さな一歩」を一緒に決める

私が30年以上の臨床で最も大切にしてきたのは、「その人にとっての小さな一歩を一緒に探す」ということです。

「毎食後に歯ブラシ・フロス・うがいを完璧にしてください」という指導は、多くの患者さんにとってハードルが高すぎます。でも、「夜寝る前だけ、鏡を見ながら2分磨いてみる」なら続けられる方がいる。「週に一度だけ、週末の夜にフロスをする」でも、やらないよりはるかにいい。

行動変容に関する研究でも繰り返し示されているように、重要なのは「完璧な行動」ではなく「続けられる行動」です。その「続けられる一歩」は、患者さん自身の生活スタイル、価値観、今の心理的準備状態によって、まったく異なります。

私はいつも、診察の終わりにこう尋ねるようにしています。「次に来ていただくまでの間に、お口のことで何か一つ試してみるとしたら、何をやってみようと思いますか?」

この問いには、決して私の答えを押しつけません。患者さんが自分で選んだことは、続きます。外から押しつけられたことは、続きません。

それは科学というよりも、人と人の関係の話なのだと、私はこの30年で学んできました。

まとめ

この記事でお伝えしたかったことを振り返ります。

  • 「正しい情報を届けるだけ」では人は動かない。知識と行動の間には大きな溝がある
  • 人が行動を変えるには「無関心期→関心期→準備期→実行期→維持期」という段階があり、ステージに合った働きかけが不可欠
  • 「正したい反射」を手放し、患者さんの内側にある動機を引き出す「ガイド」のスタンスに切り替えることが大切
  • 動機づけ面接(MI)のOARS(開かれた質問・是認・聞き返し・要約)は、歯科臨床で今日から使える実践的なスキル
  • 「続けられる小さな一歩」を患者さん自身が決めることで、行動変容が始まる

口腔の健康を守ることは、その人の人生の質を守ることだと、私はずっとそう信じてきました。だからこそ、伝えるだけで終わらない——「動ける」コミュニケーションを、これからも一緒に考えていきたいと思います。

患者さんが「やってみようかな」と小さく前を向く瞬間は、診療室で最も美しい瞬間のひとつです。それはたいてい、こちらが何かを「教えた」ときではなく、こちらが「聴いた」ときに起きています。