「最近、食事のときにむせやすくなった」「以前より硬いものが食べにくくなった気がする」
ご自身や、大切なご家族に、そんな変化はありませんか。「もう年だから仕方ない」と、つい見過ごしてしまいがちな、お口周りのほんの些細な衰え。実はそれこそが、気づかぬうちに全身の健康を蝕んでいく「オーラルフレイル」の危険なサインかもしれません。
こんにちは。歯科医師の大井美智子です。私は30年以上にわたり、特に高齢者の皆さまの口腔ケアに力を注いでまいりました。「口腔の健康を守ることは、人生の質を守ること」――その信念のもと、日々多くの患者さんと向き合う中で、お口の機能がいかに全身の健康と深く結びついているかを痛感しています。
この記事では、健康長寿の鍵を握る「オーラルフレイル」とは一体何なのか、そして、いつまでも自分らしく、おいしく食事を楽しむために、今日からご自宅でできるセルフチェックと予防法について、専門家の視点から詳しく解説してまいります。
目次
オーラルフレイルとは?健康と要介護の「分かれ道」
まず、「オーラルフレイル」という言葉を初めて耳にした方も多いかもしれません。これは、単なる「お口の衰え」を意味する言葉ではありません。
ただの「お口の衰え」ではありません
オーラルフレイルとは、「健康」な状態と、明らかに口の機能が低下した「機能障害」との中間に位置する、いわばグレーゾーンの状態を指します [1]。日本歯科医師会などが提唱しているこの概念の最も重要なポイントは、この段階が「可逆的」、つまり、適切な対応をすれば再び健康な状態に戻れるということです。オーラルフレイルは、全身の衰え(フレイル)のドミノ倒しの、一番最初に倒れるブロックとも言われ、まさに健康と要介護の大きな「分かれ道」なのです。
この概念は、東京大学高齢社会総合研究機構の飯島勝矢教授らによる「柏スタディ」をはじめとする大規模な追跡調査によって科学的に裏付けられており、単なる感覚的なものではなく、確かなエビデンスに基づいています [1]。
見逃さないで!オーラルフレイルの初期サイン
オーラルフレイルは、次のような非常に些細な症状から始まります。ご自身やご家族に当てはまるものがないか、チェックしてみてください。
- 滑舌が悪くなった(電話などで聞き返されることが増えた)
- 食べこぼしが増えた
- 食事のときに、わずかにむせることがある
- 噛めない食品が増えてきた
- 口の中が乾きやすい
これらのサインは、一つひとつは小さくても、お口の機能が低下し始めていることを示す重要な警告です。この入り口の段階で気づき、対策を始めることが何よりも大切です。
なぜ怖い?オーラルフレイルが全身の健康を蝕むメカニズム
では、なぜお口の些細な衰えが、全身の健康を脅かすほど深刻な問題なのでしょうか。そこには、見過ごすことのできない「負のスパイラル」が存在します。
「食べる力の低下」が招く負のスパイラル
オーラルフレイルが進行すると、以下のような悪循環に陥りやすくなります。
- 噛む力の低下:歯を失ったり、口周りの筋力が衰えたりして、硬いものが噛みにくくなる。
- 食事内容の変化:無意識のうちに、うどんやおかゆなど、柔らかく食べやすいものばかりを選ぶようになる。
- 低栄養・栄養の偏り:特に筋肉を作るために不可欠なタンパク質(肉や魚など)の摂取が減少し、栄養状態が悪化する。
- 筋力・体力の低下(サルコペニア):栄養不足により、全身の筋肉量が減少し、筋力や身体機能が低下する。
- 活動量の低下:体力が落ちることで、外出がおっくうになり、家に閉じこもりがちになる。
- さらなる心身機能の低下:社会とのつながりが希薄になり、認知機能の低下やうつ傾向を招き、お口の機能もさらに衰えていく。
このように、お口の機能低下は、ドミノ倒しのように全身の衰えへと直結してしまうのです。
驚きの研究データ。死亡・要介護リスクが2倍以上に
この「負のスパイラル」は、決して大げさな話ではありません。千葉県柏市の高齢者を対象とした大規模調査「柏スタディ」では、衝撃的な事実が明らかになっています。
オーラルフレイルと判定された人は、そうでない人と比べて、4年後の身体的フレイルの発症リスクが2.4倍、サルコペニアの発症リスクが2.1倍、そして死亡リスクが2.1倍も高かったのです [6]。
お口のささいな衰えが、数年後の要介護状態や、ひいては生命そのものにも関わる重大なリスクであることが、このデータからお分かりいただけると思います。
あなたは大丈夫?今日からできるオーラルフレイル・セルフチェック
では、ご自身の現在のお口の状態はどうでしょうか。国立長寿医療研究センターが公開している、信頼性の高いセルフチェックリストを使って、早速確認してみましょう。質問を読み、当てはまる方の点数を合計してください。
【表1】オーラルフレイル・セルフチェックリスト [2]
| 質問項目 | はい | いいえ |
|---|---|---|
| 1. 半年前と比べて、硬い物が食べにくくなった | 2点 | 0点 |
| 2. お茶や汁物でむせることがある | 2点 | 0点 |
| 3. 義歯(入れ歯)を入れている | 2点 | 0点 |
| 4. 口の渇きが気になる | 1点 | 0点 |
| 5. 半年前と比べて、外出が少なくなった | 1点 | 0点 |
| 6. さきイカ・たくあん位の硬さの食べ物を噛める | 0点 | 1点 |
| 7. 1日に2回以上、歯を磨く | 0点 | 1点 |
| 8. 1年に1回以上、歯医者に行く | 0点 | 1点 |
| 合計点数 |
<判定>
- 0~2点:オーラルフレイルの危険性は低いです。素晴らしい状態です。引き続きケアを続けましょう。
- 3点:オーラルフレイルの危険性ありです。注意が必要です。これからの予防が大切になります。
- 4点以上:オーラルフレイルの危険性が高いです。できるだけ早く、かかりつけの歯科医に相談しましょう。
いかがでしたか?もし「危険性あり」や「危険性が高い」と判定された方も、決して悲観することはありません。オーラルフレイルは「可逆的」です。今から対策を始めれば、十分に健康な状態を取り戻すことができます。
歯科医師が伝授!オーラルフレイル予防・改善のための3つの柱
では、具体的に何をすればよいのでしょうか。ここでは、ご自宅で簡単に始められる予防・改善法を「3つの柱」としてご紹介します。
柱①:お口の筋トレ「口腔体操」を習慣に
顔や舌、唇の筋肉も、体の筋肉と同じように、使わなければ衰えていきます。毎日少しずつでも、お口の体操を習慣にしましょう。
【表2】今日からできる!簡単・口腔体操 [5]
| 体操の種類 | やり方とポイント |
|---|---|
| パタカラ体操 | 「パ」「タ」「カ」「ラ」と、それぞれはっきりと、少し大げさに発音します。各音を5回ずつ繰り返しましょう。 ・「パ」:唇をしっかり閉じて破裂させる。食べこぼしを防ぐ。 ・「タ」:舌先を上の前歯の裏にしっかりつける。食べ物を押しつぶす。 ・「カ」:喉の奥を意識して閉める。誤嚥を防ぐ。 ・「ラ」:舌を丸め、舌先を上の前歯の裏に弾くようにつける。食べ物を喉の奥へ送る。 |
| 頬の体操 | 左右の頬を交互に、力いっぱい膨らませたり、すぼめたりします。これを10回ほど繰り返します。ほうれい線の予防にも効果的です。 |
| 舌の体操 | 口を閉じたまま、舌で歯茎の表面をなぞるように、円を描きながらゆっくりと回します。右回り、左回り、それぞれ5周ずつ行いましょう。 |
| ながらうがい | 普段の「ガラガラうがい」「ブクブクうがい」を、いつもより「少し長めに」「少し回数多めに」を意識するだけでも、立派なトレーニングになります。 |
柱②:「食べる力」を維持する食事と栄養
低栄養を防ぎ、お口の機能を維持するためには、食事の内容も非常に重要です。
- タンパク質を意識して摂る:筋肉の材料となるタンパク質は、高齢期に特に不足しがちです。肉、魚、卵、大豆製品などを、毎食いずれか一品は取り入れるように心がけましょう [7]。
- 「噛むこと」を意識する:柔らかいものばかりでなく、きのこや根菜、海藻など、少し歯ごたえのある食品も食事に取り入れましょう。「噛む」という行為そのものが、お口周りの筋肉のトレーニングになります。
- 多様な食品をバランスよく:特定の食品に偏らず、できるだけ多くの品目を食べることで、自然と栄養バランスが整います。
柱③:プロの力を借りる「かかりつけ歯科医」の役割
セルフケアは非常に大切ですが、それだけでは気づけない問題もあります。そこで頼りになるのが、「かかりつけ歯科医」の存在です。
かつて「80歳で20本の歯を残そう」と推進された8020運動は、今や達成者が50%を超える時代になりました [1]。次のステップは、残った歯をいかに機能させるか、つまり「お口の機能」に目を向けることです。歯科医院では、虫歯や歯周病の治療・予防だけでなく、専門的な機械を使って噛む力や舌の動きを測定したり、一人ひとりに合ったリハビリテーションの指導を受けたりすることもできます。セルフチェックで不安を感じた方はもちろん、今は問題がない方も、定期的にプロのチェックを受けることが、健康長寿への一番の近道です。
まとめ
今回は、健康長寿を脅かす静かなる脅威、「オーラルフレイル」について解説しました。
- オーラルフレイルは、全身の衰えの入り口であり、要介護や死亡のリスクを高める危険なサインであること。
- しかし、それは「可逆的」であり、早期発見と適切な対策で十分に予防・改善が可能であること。
- セルフチェックでご自身の状態を把握し、「口腔体操」「栄養」「歯科受診」の3つの柱を実践することが重要であること。
お口の健康は、単に「食べられる」というだけでなく、人と会話を楽しみ、笑い合うといった、豊かな人生の質そのものを支えています。この記事をきっかけに、ご自身や大切なご家族のお口の健康に、改めて目を向けていただけたなら、歯科医師としてこれほど嬉しいことはありません。さあ、今日から一緒に、未来の健康への第一歩を踏み出しましょう。