マスク生活と口腔内環境:コロナ後に増えた新たな課題とは?

新型コロナウイルスの流行により、私たちの生活には「マスク着用」という新たな習慣が定着しました。

感染予防の観点からは非常に重要なマスク着用ですが、歯科医療の現場からはマスク生活が口腔内環境に及ぼす影響について、様々な懸念の声が上がっています。

私は歯科医師として15年のキャリアを積み、その後歯科専門誌の編集長として10年以上にわたり、口腔健康に関する最新情報を追い続けてきました。

この経験から見えてきたのは、長期にわたるマスク着用が予想以上に私たちの口腔内環境に影響を与えているという事実です。

本稿では、マスク生活がもたらす口腔内の変化とそれに伴うリスク、そして日常生活で実践できる対策について詳しくお伝えします。

この記事を読むことで、マスク生活下でも口腔内を健康に保つための具体的なヒントが得られるでしょう。

マスク生活が口腔内に及ぼした影響

口呼吸の増加とそのリスク

マスクを着用していると、多くの方が無意識のうちに鼻呼吸から口呼吸へと呼吸方法を変えてしまいます。

これは、マスクによって気道の抵抗が増えるため、より多くの空気を取り込もうとして自然と口で呼吸するようになるためです。

本来、人間の呼吸は鼻で行うことが理想的です。

鼻呼吸では、吸い込んだ空気が鼻毛や線毛によってフィルターされ、加湿・加温されて肺へ送られます。

一方、口呼吸では空気が直接口から取り込まれるため、このフィルター機能が働かず、乾いた空気が口腔内を通過することになります。

さらに口呼吸により口腔内が乾燥すると、「唾液の自浄作用」が低下し、口腔内の細菌が繁殖しやすい環境が生まれてしまいます。

口呼吸の継続は以下のような口腔内のリスクを高めます:

  • 唾液分泌量の減少:口腔内の乾燥により、唾液の持つ抗菌作用や食物残渣の洗浄効果が低下
  • 細菌の繁殖促進:口腔内環境の変化により、虫歯菌や歯周病菌の活動が活発化
  • 口臭の増加:唾液減少による細菌増殖で口臭のリスクが上昇
  • 口腔粘膜の乾燥:粘膜の乾燥によるひび割れや炎症のリスク増加

乾燥による唾液分泌低下

唾液は単なる「よだれ」ではなく、口腔内の健康を維持するための重要な液体です。

健康な成人では1日に約1〜1.5リットルの唾液が分泌され、口腔内を常に潤した状態に保っています。

唾液には次のような重要な役割があります:

  1. 抗菌作用:唾液に含まれるリゾチームや抗体が細菌の増殖を抑制
  2. 自浄作用:食物残渣や細菌を洗い流す
  3. 再石灰化作用:初期の虫歯を修復する効果
  4. 消化補助:食物の消化を助ける酵素の分泌
  5. pH調整:酸性に傾いた口腔内を中和する緩衝作用

マスク着用による口呼吸の増加は、この大切な唾液の分泌を減少させてしまいます。

特に、マスク生活に加えて在宅時間の増加により、人と会話する機会も減少している現代では、唾液を分泌する刺激自体が少なくなっているのです。

「唾液は口腔内の自然な防御システムです。その減少は、単に口が乾くという不快感だけでなく、口腔内の細菌バランスを崩し、様々な口腔トラブルの入口になります」

プラークコントロールの乱れ

マスク生活は、私たちの口腔ケアへの意識や行動にも変化をもたらしています。

マスクで口元が隠れているため、「歯を磨かなくても誰にも気づかれない」という心理が働き、歯磨きをおろそかにする傾向が見られます。

また、リモートワークなど生活リズムの変化により、不規則な食事や間食が増えたという方も少なくありません。

こうした生活習慣の変化は、口腔内のプラーク(歯垢)コントロールを難しくしています。

プラークは歯の表面に付着する細菌の塊で、放置すると虫歯や歯周病の原因となります。

通常、プラークは唾液の自浄作用と適切な歯磨きによって除去されますが、マスク生活ではこの両方が不十分になりがちです。

プラークコントロールが乱れると起こる問題:

  • 虫歯の増加
  • 歯周病の悪化
  • 口臭の強化
  • 歯の着色(ステイン)の増加

マスク内の自浄作用の低下

マスクを着用している状態では、口腔内の湿度が高まり、ある種の「密閉空間」が生まれます。

この環境では、通常の呼気による口腔内の換気が妨げられ、細菌にとって繁殖しやすい環境が生まれてしまうのです。

さらに、マスク内の高湿度環境は唾液の蒸発を妨げるため、唾液の流れが滞り、本来の自浄作用が十分に機能しなくなります。

特に長時間のマスク着用では、この効果が顕著に表れ、口腔内の細菌バランスが崩れやすくなります。

マスク内環境の変化による影響は個人差が大きく、元々の口腔内状態や唾液の性質によっても差があります。

ただし、マスク着用時間が長いほど、またマスクを頻繁に交換しないほど、口腔内環境への影響は大きくなる傾向があります。

コロナ後に顕在化した口腔トラブル

歯周病リスクの上昇

歯科医院での臨床現場では、コロナ禍以降、歯周病の悪化や新規発症例が増加傾向にあることが報告されています。

歯周病は、プラーク中の細菌によって引き起こされる歯ぐきの炎症性疾患です。

初期は歯ぐきの腫れや出血程度ですが、進行すると歯を支える骨が溶けて、最終的には歯が抜け落ちてしまう深刻な疾患です。

マスク生活による唾液減少は、歯周病菌の増殖を抑える防御機能を低下させます。

また、口呼吸による口腔内の乾燥は、歯ぐきの血行不良を引き起こし、歯周組織の抵抗力を弱めてしまいます。

歯周病の症状チェックリスト:

  1. 歯磨き時に歯ぐきから出血がある
  2. 歯ぐきが赤く腫れている
  3. 口臭が気になる
  4. 歯がグラグラする感じがある
  5. 歯と歯の間に食べ物が詰まりやすくなった

これらの症状が一つでもある場合は、歯周病の可能性があります。

早期発見・早期治療が重要ですので、自覚症状がある方は歯科医院での検診をお勧めします。

口臭トラブルの増加

マスク生活が定着して以降、「口臭が気になるようになった」という相談が歯科医院で増えています。

実は、マスクをすることで自分の口臭を自覚しやすくなったというケースが多いのです。

通常、私たちの呼気は空気中に拡散するため、自分の口臭を感じることは少ないですが、マスク内では呼気が滞留し、自分の口臭を強く感じるようになります。

あるアンケート調査では、コロナ禍以降に「口臭が気になるようになった」と回答した人が全体の54%にのぼったという結果もあります。

口臭の主な原因は以下の3つです:

  • 口腔内の細菌増殖:唾液減少により、口臭の原因となる揮発性硫黄化合物(VSC)を産生する細菌が増える
  • 舌苔(ぜったい)の増加:舌の表面に付着する白い苔状の汚れが増加
  • 歯周病の進行:歯周ポケット内の細菌が産生するガスによる口臭

マスクによって口臭に気づくことは、口腔内トラブルの早期発見につながる良い機会でもあります。

口臭が気になる場合は、単に口臭除去スプレーなどで対症療法を行うのではなく、根本的な原因を歯科医院で調べることをお勧めします。

カリエス(虫歯)発生率の変化

マスク生活と在宅時間の増加に伴い、一部の歯科医院では虫歯(カリエス)の新規発生や悪化のケースが報告されています。

これには主に3つの要因が考えられます:

  1. 唾液の減少:唾液には初期虫歯を修復する再石灰化作用がありますが、その機能が低下
  2. 食生活の変化:在宅時間の増加による間食の増加や、ストレス解消のための甘味摂取の増加
  3. 歯科検診の減少:感染リスクを避けるために歯科医院への定期訪問が減少

特に注意すべきは、「根面カリエス」と呼ばれる歯の根元にできる虫歯です。

歯ぐきが下がることで露出した歯の根の部分は、エナメル質で覆われていないため、通常の虫歯よりも進行が早く、気づいたときには深刻な状態になっていることが少なくありません。

マスク生活による唾液減少は、この根面カリエスのリスクを特に高めます。

虫歯の種類特徴マスク生活での変化
咬合面う蝕歯の噛み合わせ面にできる虫歯やや増加傾向
隣接面う蝕歯と歯の間にできる虫歯増加傾向
根面う蝕歯の根元部分にできる虫歯顕著に増加
二次う蝕詰め物や被せ物の周囲にできる虫歯増加傾向

矯正・補綴治療への影響

マスク生活は、歯列矯正や入れ歯などの補綴治療にも影響を及ぼしています。

特に口呼吸が習慣化すると、口周りの筋肉の力が弱まり、顎の発達や歯列に悪影響を与える可能性があります。

小児の場合、成長期に口呼吸が続くと、上顎が狭くなったり、前歯が突出したりする「上顎前突」のリスクが高まります。

成人でも、口呼吸による口腔内乾燥は義歯の安定性に影響を与え、入れ歯の違和感や痛みの原因になることがあります。

また、マスクで口元が隠れているため、矯正装置による見た目の変化を気にせず過ごせるというメリットもある一方で、マスク下の環境変化により矯正装置周囲の虫歯や歯周病リスクが高まるというデメリットもあります。

矯正・補綴治療中の方は、特に口腔内の乾燥に注意し、丁寧な口腔ケアを心がけることが重要です。

なぜ今、「予防歯科」がより重要なのか

口腔ケア意識の低下を防ぐために

マスク生活の長期化により、「口元が見えないから」という理由で口腔ケアへの意識が低下している方が増えています。

しかし、見た目の問題だけでなく、口腔内は全身の健康と密接に関連していることを忘れてはなりません。

口腔内の細菌増加は、単に虫歯や歯周病のリスクを高めるだけでなく、誤嚥性肺炎や心臓病、糖尿病など全身疾患とも関連していることが近年の研究で明らかになっています。

特に新型コロナウイルスのような感染症対策において、口腔ケアは重要な役割を果たします。

口腔内を清潔に保つことで、ウイルスの侵入経路となる口腔内の状態を健全に保ち、感染リスクを低減できる可能性があります。

予防歯科の考え方は、「問題が起きてから治療する」のではなく、「問題が起きないように予防する」という発想の転換です。

マスク生活による口腔環境の変化が顕在化している今こそ、この予防歯科の考え方を取り入れるべきタイミングといえるでしょう。

自己チェックと早期発見のポイント

マスク生活下での口腔トラブルを早期に発見するためには、日頃からの自己チェックが重要です。

以下のような症状がないか、定期的にチェックしましょう:

  1. 口の乾燥感:唾液が減少している可能性
  2. 歯ぐきの腫れや出血:歯周病の初期症状
  3. 舌の白い苔:舌苔の増加、細菌増殖のサイン
  4. 口臭の自覚:細菌増殖や歯周病の可能性
  5. 歯のしみる感覚:初期虫歯や知覚過敏のサイン

これらの症状は、鏡を見ながら確認できるものもありますが、自分では気づきにくい変化もあります。

そのため、定期的な歯科検診も欠かせません。

また、自分が口呼吸になっていないかをチェックする簡単な方法もあります:

口呼吸セルフチェック方法

舌を上顎に当てて「コン・コン」と音を出してみましょう。

このとき、舌先が当たる位置が、口を閉じた状態での舌の正しい位置です。

一方、口呼吸の習慣がある方は、舌の筋肉が弱くなっているため、舌が下がって前歯の裏側や歯茎、歯と歯の間についていることが多いです。

このチェックで口呼吸の傾向がわかったら、意識的に鼻呼吸を心がけるようにしましょう。

歯科医院との新しい付き合い方

コロナ禍を経験した現在、歯科医院との関わり方も変化しています。

従来の「痛くなったら行く」という受動的な歯科受診から、「予防のために定期的に通う」という能動的な関わり方へのシフトが重要です。

予防歯科先進国とされるスウェーデンやフィンランドでは、定期的な歯科検診が生活習慣として定着しており、70歳時点での平均残存歯数が25本前後(日本人は約15本)と大きな差があります。

この差は、予防に対する考え方の違いから生まれています。

日本でも「かかりつけ歯科医」という概念が広まりつつありますが、その真の意味は、単に「いつも行く歯科医院」ではなく、「自分の口腔の健康管理を任せられるパートナー」ということです。

マスク生活による口腔環境の変化に対応するためにも、定期的な検診と専門的なクリーニング(PMTC)を組み合わせた予防プログラムを活用することをお勧めします。

多くの歯科医院では、患者さんごとに最適な予防プログラムを提案していますので、相談してみてください。

マスクと上手に付き合うための実践アドバイス

正しいマスク使用法と口腔内ケア

マスク着用は今後も続く可能性がありますが、口腔内環境への影響を最小限に抑えるための工夫があります。

まず、マスク着用時でも意識的に鼻呼吸を心がけることが重要です。

鼻呼吸を習慣化するためのポイント:

  • マスク着用時は、意識的に口を閉じて呼吸する
  • 呼吸が苦しくなったら、一時的にマスクを外して深呼吸(人のいない場所で)
  • 就寝前のリラックスタイムに鼻呼吸の練習をする
  • 鼻炎などで鼻呼吸が難しい場合は、耳鼻科での相談も検討

また、マスクの種類や使用法も口腔内環境に影響します。

マスク選びのポイント:

  • 通気性が良く、呼吸がしやすいものを選ぶ
  • 顔の形に合ったサイズのマスクを使用する
  • 長時間使用するときは、適宜交換する
  • マスクの内側が湿ってきたら交換する

マスク着用時の口腔ケアでは、特に水分補給と保湿が重要です。

水分をこまめに摂ることで、口腔内の乾燥を防ぎ、唾液の分泌を促進しましょう。

日常生活でできる簡単な口腔ストレッチ

マスク生活による口腔機能の低下を防ぐために、日常的に口腔周囲の筋肉を動かすストレッチがおすすめです。

「あいうべ体操」は、口周りの筋肉を鍛え、唾液の分泌を促進する効果が期待できる簡単な体操です。

あいうべ体操のやり方

  1. 「あー」:口を大きく開ける(3秒間)
  2. 「いー」:口を横に大きく引く(3秒間)
  3. 「うー」:口を強く前に突き出す(3秒間)
  4. 「べー」:舌を大きく出す(3秒間)

これを1セットとして、1日30セット程度行うと効果的です。

マスクをしていても行える口腔ストレッチとして、「舌回し運動」もおすすめです。

舌回し運動のやり方

  1. 口を閉じ、唇と歯ぐきの間に舌を入れる
  2. 舌を歯ぐきに沿わせながら、ゆっくりと右回りに10回転
  3. 同様に左回りに10回転

これらの体操は、マスク着用による口腔機能の低下を予防するだけでなく、唾液の分泌を促進し、口臭予防にも効果があります。

また、唾液の分泌を促進するためには、唾液腺マッサージも効果的です。

唾液腺マッサージのやり方

  1. 耳下腺マッサージ:耳の前から頬にかけて、指で円を描くようにやさしくマッサージ(10回)
  2. 顎下腺マッサージ:顎の下を親指と人差し指で軽くつまみ、前から後ろに向かってマッサージ(10回)
  3. 舌下腺マッサージ:舌を上顎に押し付け、あごの下を軽く押す(10回)

これらのマッサージは、食事前に行うと唾液の分泌が促進され、食べ物の消化や味覚の改善にも効果があります。

歯科医推奨!マスク生活中に意識したいセルフケア術

マスク生活において、日常的なセルフケアが口腔内環境を守る鍵となります。

歯科医が推奨する効果的なセルフケア方法をご紹介します:

1. ブラッシングの見直し

マスク生活では特に丁寧なブラッシングが重要です。

効果的なブラッシングのポイント:

  • 1箇所につき20回程度、小刻みに動かす
  • 歯と歯ぐきの境目を意識して磨く
  • 奥歯の噛み合わせ面もしっかり磨く
  • 磨き残しの多い部位(奥歯の内側など)を特に意識する

2. デンタルフロスや歯間ブラシの活用

歯ブラシだけでは届かない歯と歯の間の清掃は、虫歯や歯周病予防の重要なポイントです。

デンタルフロスや歯間ブラシの使い方を歯科医院で指導してもらい、毎日の習慣にしましょう。

3. 舌ケアの実践

舌の表面に付着する舌苔(白い汚れ)は、口臭の主な原因の一つです。

舌ブラシや舌クリーナーを使って、舌の奥から手前に向かって優しく舌の汚れを除去しましょう。

ただし、強くこすりすぎると舌の表面を傷つけることがあるので、やさしく行うことが重要です。

4. 唾液の分泌を促す工夫

唾液は口腔内の自然な防御システムです。

以下の方法で唾液の分泌を促進しましょう:

  • よく噛んで食べる(一口30回噛むことを意識)
  • キシリトール入りのガムを噛む
  • 水分をこまめに摂る
  • 唾液腺マッサージを定期的に行う

5. 歯科医院での定期検診の活用

セルフケアだけでは取り除けない歯石や歯の着色は、歯科医院での専門的クリーニングで除去することが重要です。

3〜6ヶ月に一度の定期検診を習慣にして、口腔内の健康状態をプロフェッショナルにチェックしてもらいましょう。

まとめ

マスク生活が私たちの口腔内環境にもたらした変化とその影響について、様々な側面から解説してきました。

口呼吸の増加、唾液分泌の減少、プラークコントロールの乱れなど、マスク着用による口腔内環境の変化は、虫歯や歯周病、口臭といった様々なトラブルのリスクを高めています。

しかし、これらのリスクは適切な対策で十分に予防できるものです。

鼻呼吸を意識する、唾液腺マッサージや口腔ストレッチを行う、丁寧な口腔ケアを継続する、定期的な歯科検診を受けるなど、日常生活でできる対策を継続することが大切です。

マスク着用が日常となった現代社会において、口腔内環境の変化に気づき、適切に対応することは、単に口の健康だけでなく、全身の健康維持にもつながります。

「正しい情報で、自分の健康を守る」—これは私が歯科医師として、そして健康情報の発信者として常に伝えたいメッセージです。

今後も状況に応じてマスク着用が必要になる場面があるでしょう。

その際には、本稿でご紹介した対策を参考に、マスクと上手に付き合いながら、口腔内の健康を維持していただければ幸いです。