歯茎が下がってきた?見た目だけの問題じゃない「歯肉退縮」のリスクと対策

こんにちは、歯科医師の大井美智子です。神奈川県の総合歯科医院で、30年以上にわたり皆さまのお口の健康と向き合ってまいりました。

最近、鏡を見て「なんだか歯が長くなった気がする」「歯と歯の間に隙間ができて、食べ物が詰まりやすくなった」と感じたことはありませんか?あるいは、冷たい水を口に含んだ瞬間、歯の根元に「キーン」と鋭い痛みが走る…。

もし、こうした症状に心当たりがあれば、それは「歯肉退縮(しにくたいしゅく)」、つまり歯茎が下がってきているサインかもしれません。

多くの方がこれを「年齢のせい」と片付けてしまいがちですが、実は歯肉退縮は単なる見た目の問題ではありません。放置すれば、歯を失うことにもつながりかねない、お口の健康を揺るがす重要な警告なのです。

この記事では、長年の臨床経験をもとに、歯肉退縮がなぜ起こるのか、そしてそれが私たちの体にどのようなリスクをもたらすのかを、専門的な視点から分かりやすく解説していきます。さらに、ご自宅でできる予防法から、歯科医院で行う専門的な治療法まで、具体的な対策を詳しくお話しします。

ご自身の歯で、生涯にわたって美味しく食事をし、心から笑える毎日を送るために。ぜひ、この記事を最後までお読みいただき、お口の健康を見直すきっかけにしていただければ幸いです。

そもそも「歯肉退縮」とは?健康な歯茎との違い

まずは、「歯肉退縮」がどのような状態なのか、正しく理解することから始めましょう。

歯肉退縮の定義:歯の根元が見えている状態

歯肉退縮とは、その名の通り、歯茎(歯肉)が退縮し、本来であれば歯茎に覆われているはずの歯の根っこ(歯根)の部分が露出してしまった状態を指します。

健康な歯は、歯茎から出ている「歯冠(しかん)」と、歯茎の中に隠れている「歯根(しこん)」に分かれています。
歯冠の表面は、私たちの体で最も硬い組織である「エナメル質」で覆われており、外部の刺激から歯を守っています。一方、歯根の表面は「セメント質」という、エナメル質よりも柔らかく、酸にも弱い組織でできています。

歯肉退縮が起こると、このデリケートな歯根部分が剥き出しになってしまうのです。これが、さまざまなトラブルの引き金となります。

あなたの歯茎は大丈夫?セルフチェックリスト

ご自身の歯茎の状態を客観的に見てみましょう。以下の項目に当てはまるものがないか、鏡を見ながら確認してみてください。

【歯肉退縮セルフチェックリスト】

  • 以前より歯が長くなったように見える
  • 歯と歯の間に三角形の隙間(ブラックトライアングル)が目立つようになった
  • 食べ物が歯の間に詰まりやすくなった
  • 歯の根元の色が、先端部分と違って黄色っぽく見える
  • 冷たいものや熱いもの、歯ブラシの毛先が触れると歯がしみる
  • 歯茎が赤く腫れていたり、ブヨブヨしたりしている
  • 歯を指で軽く押すと、少しグラグラする感じがする

一つでも当てはまる項目があれば、歯肉退縮が始まっているか、あるいはそのリスクが高い状態かもしれません。特に複数の項目に該当する場合は、早めに歯科医院で相談することをお勧めします。

なぜ歯茎は下がってしまうのか?歯肉退縮の7つの主な原因

では、なぜ大切な歯茎は下がってしまうのでしょうか。その原因は一つではなく、複数の要因が複雑に絡み合っていることがほとんどです。 ここでは、特に重要とされる7つの原因について解説します。

原因1:歯周病 – 最大のリスク因子

歯肉退縮の最も大きな原因は、歯周病です。 歯周病は、歯と歯茎の境目に溜まったプラーク(歯垢)の中の細菌によって引き起こされる感染症です。

初期段階では歯茎に炎症が起こる「歯肉炎」ですが、進行すると歯を支えている顎の骨(歯槽骨)が溶かされてしまいます。 歯茎は、この歯槽骨の上に乗っている組織です。つまり、土台である骨が失われれば、その上の歯茎も一緒に下がってしまうのです。

原因2:不適切なブラッシング(オーバーブラッシング)

「歯をきれいにしたい」という思いから、硬い歯ブラシでゴシゴシと力を入れて磨いていませんか?実は、この「磨きすぎ」も歯茎を傷つけ、退縮させる大きな原因となります。 これを「オーバーブラッシング」と呼びます。

特に、歯ブラシを横方向に大きく動かす磨き方は、歯茎に強い摩擦を与え、すり減らしてしまいます。 良かれと思って行っている歯磨きが、かえって歯茎を傷つけているケースは非常に多いのです。

原因3:噛み合わせの不調和・歯ぎしり

歯並びが悪かったり、特定の歯だけが強く当たったりするような不適切な噛み合わせも、歯肉退縮の原因となります。

また、睡眠中の歯ぎしりや、日中に無意識に行っている食いしばりは、ご自身が思っている以上に強力な力(時には100kgを超えることも)を特定の歯にかけ続けます。 この過剰な力が、歯を支える骨や歯茎にダメージを与え、歯肉退縮を引き起こすのです。

原因4:不適合な詰め物・被せ物

虫歯治療で入れた詰め物や被せ物の縁が、歯とぴったり合っていない場合も注意が必要です。段差やすき間にプラークが溜まりやすくなり、そこから歯周病が進行して歯肉退縮につながることがあります。

原因5:矯正治療による影響

歯並びを整える矯正治療も、歯肉退縮の一因となることがあります。 歯を動かす過程で、歯が骨の薄い部分へ移動したり、装置によって清掃がしにくくなり歯茎に炎症が起きたりすることで、歯茎が下がってしまうことがあるのです。

原因6:加齢による生理的な変化

加齢に伴い、お肌のハリが失われるように、歯茎も少しずつ弾力を失い、下がってくる傾向があります。これはある程度の生理的な変化であり、10年間で2mm程度の退縮は起こりうるとも言われています。 しかし、他の原因と結びつくことで、その進行が加速してしまうことがあります。

原因7:生活習慣(特に喫煙)

喫煙は、歯肉退縮のリスクを著しく高める生活習慣です。 タバコに含まれるニコチンなどの有害物質は、歯茎の血管を収縮させ、血行を悪化させます。 これにより、歯茎への酸素や栄養の供給が滞り、細菌に対する抵抗力が低下。歯周病が進行しやすくなるだけでなく、傷ついた歯茎の修復も妨げられてしまうのです。

見た目だけじゃない!歯肉退縮が引き起こす5つの深刻なリスク

歯茎が下がることの問題は、単に「歯が長く見えて老けた印象になる」といった審美的なものに留まりません。 むしろ、これからお話しする機能的なリスクの方が、皆さんの将来のQOL(生活の質)に大きく関わってきます。

リスク1:知覚過敏 – 「しみる」症状の正体

歯肉退縮によって歯の根元(歯根)が露出すると、冷たいものや熱いもの、風が当たっただけでも「キーン」としみる、知覚過敏の症状が出やすくなります。

これは、歯根の表面を覆うセメント質が削れ、その下にある「象牙質」が剥き出しになるためです。象牙質には、歯の神経(歯髄)につながる無数の小さな管(象牙細管)が通っており、外部からの刺激がこの管を通じて神経に直接伝わってしまうのです。

リスク2:虫歯(根面う蝕) – 大人の虫歯に要注意

露出した歯根は、非常に虫歯になりやすいという大きなリスクを抱えています。これを「根面う蝕(こんめんうしょく)」と呼びます。

歯の頭の部分(歯冠)を覆うエナメル質に比べ、歯根表面の象牙質は非常に柔らかく、酸に対する抵抗力も弱いため、虫歯の進行がとても速いのが特徴です。 また、歯茎のキワにできるため見つけにくく、痛みなどの自覚症状も出にくいため、気づいた時にはかなり進行しているケースも少なくありません。

リスク3:審美性の低下 – 見た目の印象を左右する

もちろん、見た目の問題も無視できません。
歯が長く見えることで、年齢よりも老けた印象を与えてしまいます。 また、歯と歯の間の歯茎が下がることで「ブラックトライアングル」と呼ばれる黒い三角形の隙間ができ、笑顔の印象を損なう原因にもなります。 さらに、露出した歯根は着色しやすく、歯の色がまだらに見えてしまうこともあります。

リスク4:歯が抜けるリスクの増大

歯肉退縮は、多くの場合、歯を支える歯槽骨の吸収を伴っています。 歯茎が下がっているということは、その下の土台である骨も失われているサインなのです。

この状態が進行すれば、歯は支えを失い、次第にグラグラと動揺し始めます。そして最終的には、抜歯せざるを得ない状況に至ることもあります。歯肉退縮は、歯の喪失につながる危険なシグナルなのです。

リスク5:口臭の悪化

歯茎が下がると、歯と歯の間に隙間ができたり、歯根の表面に凹凸ができたりするため、プラークや食べカスが溜まりやすくなります。 これにより細菌が繁殖し、口臭の原因となるガスを発生させるため、口臭が悪化しやすくなります。

自宅でできる!歯肉退縮の進行を食い止めるセルフケア術

「一度下がってしまった歯茎は、残念ながら自然に元の状態に戻ることはありません。」
この事実を聞いて、がっかりされた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、諦めるのはまだ早いです。適切なセルフケアを毎日続けることで、歯肉退縮の進行を食い止め、現状を維持することは十分に可能です。

基本の「き」:正しい歯磨き方法の実践

歯肉退縮対策の基本は、なんといっても毎日の歯磨きです。しかし、ただ磨けば良いというわけではありません。「歯と歯茎を傷つけずに、汚れだけを効率的に除去する」ことが重要です。

歯ブラシの選び方と持ち方

まず、歯ブラシは「やわらかめ」か「ふつう」の硬さのものを選びましょう。 硬い歯ブラシは歯茎を傷つける原因になります。

そして、持ち方です。グーで握るように持つ「パームグリップ」は力が入りすぎてしまうため、鉛筆を持つように軽く握る「ペングリップ」をお勧めします。 これだけで、余計な力が入りにくくなります。

優しい力加減を覚える

歯磨きに最適な力の強さは、150g〜200g程度と言われています。これは、歯ブラシの毛先を爪の先に当てて、爪が白くならない程度の非常に軽い力です。一度、ご自身の歯ブラシで試してみてください。多くの方が、想像以上の優しい力であることに驚かれるはずです。

歯ブラシを歯に当てる際は、毛先が潰れない程度の圧で、小刻みに振動させるように動かすのがコツです。

補助的清掃用具の活用

歯ブラシだけでは、歯と歯の間の汚れを60%程度しか取り除くことができません。歯肉退縮の大きな原因となる歯周病を予防するためには、デンタルフロスや歯間ブラシの併用が不可欠です。

毎日、就寝前の歯磨きの際に、1日1回で構いませんので、フロスや歯間ブラシを使う習慣をつけましょう。

歯ぎしり・食いしばりへの対策

もし、朝起きた時に顎が疲れていたり、ご家族から歯ぎしりを指摘されたりしたことがある場合は、歯科医院に相談しましょう。 睡眠中に装着する「ナイトガード」と呼ばれるマウスピースを作成することで、歯や歯茎にかかる過剰な力を緩和することができます。

生活習慣の見直し

喫煙習慣のある方は、これを機に禁煙を検討することをお勧めします。 禁煙は、歯肉退縮の進行を抑えるだけでなく、全身の健康にとっても計り知れないメリットがあります。また、バランスの取れた食事や十分な睡眠を心がけ、体全体の免疫力を高めることも、お口の健康を守る上で非常に大切です。

歯科医院ではどんな治療をするの?専門的なアプローチ

セルフケアで進行を食い止める努力をしても、すでに下がってしまった歯茎や、それに伴う症状(知覚過敏や見た目の問題)にお悩みの場合、歯科医院での専門的な治療が必要になります。

基本的な歯周病治療

歯肉退縮の原因が歯周病である場合、まずはその原因を取り除く治療が最優先されます。
専用の器具を使って、歯ブラシでは取れない歯石やプラークを徹底的に除去する「スケーリング」や「ルートプレーニング」といった治療を行い、歯茎の炎症を改善させます。

外科的治療法(歯周組織再生療法など)

見た目の改善や、失われた歯周組織を回復させるために、外科的な処置が行われることもあります。これらの治療は、歯周病治療を専門とする歯科医師の高い技術が求められます。

歯肉移植術(CTG・FGG)

下がってしまった歯茎を回復させるために、ご自身の上顎の口蓋などから歯肉の一部を採取し、歯茎が足りない部分に移植する手術です。
「結合組織移植術(CTG)」や「遊離歯肉移植術(FGG)」といった方法があり、審美性の回復や、歯茎そのものを強くする効果が期待できます。

GTR法・エムドゲイン法

これらは、歯周病によって失われた歯を支える骨(歯槽骨)などの歯周組織そのものを再生させる治療法です。
「GTR法」は、特殊な膜を設置して骨が再生するスペースを確保する方法です。 「エムドゲイン法」は、歯が生えてくるときと同じような環境を再現するタンパク質を主成分としたジェル状の薬剤を塗り、組織の再生を促します。

その他の治療(矯正治療、補綴治療)

噛み合わせが原因の場合は、歯列矯正によって歯並びを整え、特定の歯への負担を軽減する治療が行われることもあります。 また、不適合な詰め物や被せ物が原因であれば、作り直して適合の良いものに交換します。

治療の費用と期間の目安

歯肉退縮の治療は、その目的によって保険適用か自費診療かが分かれます。

  • 保険適用: 歯周病が原因で、その進行を止めるための基本的な治療(歯石除去など)。
  • 自費診療: 見た目の美しさを回復させる審美目的の歯肉移植術や、歯周組織再生療法など。

自費診療の場合、費用は歯科医院や治療法、治療する歯の本数によって大きく異なります。以下はおおよその目安です。

治療法費用目安(1歯あたり)
歯肉移植術(CTG/FGG)80,000円~180,000円
GTR法50,000円~(保険適用の場合もあり)
エムドゲイン法50,000円~150,000円

治療を検討する際は、必ず事前に歯科医師から詳しい説明を受け、費用や期間、リスクについて十分に納得した上で進めるようにしてください。

歯肉退縮に関するよくある質問(Q&A)

最後に、患者さんからよくいただく質問にお答えします。

Q1. 一度下がった歯茎は自然に元に戻りますか?

A1. 残念ながら、一度退縮してしまった歯茎が、何もしないで自然に元の高さまで戻ることはありません。 だからこそ、これ以上進行させないための日々のセルフケアと、定期的な歯科医院でのメンテナンスが非常に重要になるのです。

Q2. 電動歯ブラシは歯茎下がりに悪いですか?

A2. 使い方次第です。電動歯ブラシは正しく使えば非常に効果的な清掃器具ですが、歯に強く押し付けすぎると、手磨き以上に歯茎を傷つけてしまう可能性があります。最近では、圧力がかかりすぎると知らせてくれる機能が付いた製品もありますので、そういったものを選ぶのも良いでしょう。使用する際は、毛先を歯に軽く触れる程度に当てることを意識してください。

Q3. 歯茎下がりに効く歯磨き粉はありますか?

A3. 歯磨き粉だけで下がった歯茎を元に戻すことはできません。しかし、症状の緩和や進行予防に役立つ成分を含んだ歯磨き粉はあります。
例えば、歯周病予防に効果のある殺菌成分や抗炎症成分、知覚過敏の症状を抑える硝酸カリウムなどが配合されたものがお勧めです。また、フッ素が高濃度で配合された歯磨き剤は、露出した歯根を虫歯から守るのに有効です。

まとめ:未来の自分の歯を守るために、今日からできること

「歯茎が下がってきた」というサインは、あなたのお口が発している重要なメッセージです。それは単なる老化現象ではなく、歯周病の進行や、不適切な生活習慣、過剰な力といった、改善すべき問題が隠れていることを示唆しています。

この記事でお話ししたように、歯肉退縮を放置することは、知覚過敏や虫歯、そして最終的には大切な歯を失うことにも繋がります。

幸いなことに、今からでもできる対策はたくさんあります。
優しい力での正しいブラッシングを習慣にし、歯科医院での定期的なチェックを受けること。それが、これ以上の進行を食い止め、あなたの歯の寿命を延ばすための最も確実な方法です。

もし、少しでもご自身の歯茎に不安を感じたら、どうか一人で悩まず、お近くの歯科医院に足を運んでみてください。私たち歯科医師は、皆さんが生涯にわたって健康な歯で、豊かな人生を送るためのお手伝いをしたいと心から願っています。