「神経を取った歯だから、もう痛むことはないはず」。
そう思っていた歯の根が割れていて、抜歯をお伝えする場面を、診療室で何度も見てきました。
歯科医師の大井美智子です。
歯根破折は痛みが出にくく、気づいたときには進んでいることの多いトラブルです。
この記事では、見逃しやすいサイン、割れた歯を残せる条件、割らないための備えをお伝えします。
先に結論を言えば、早く見つけるほど歯を残せる見込みは高くなります。
歯根破折とは?歯ぐきの下で根が割れる状態
見えている歯ではなく「根」にヒビが入る
歯は、口の中に見えている「歯冠」と、歯ぐきと骨の中に埋まっている「歯根」でできています。
歯根破折は、この根の部分にヒビが入ったり、割れたりした状態を指します。
転んで前歯をぶつけたときのように横に折れることもありますが、大人の奥歯で問題になりやすいのは、根の長さ方向に縦に走る「垂直性歯根破折」です。
前歯の先が欠けたのなら、鏡を見ればすぐに分かります。
ところが根のヒビは、歯ぐきと骨に隠れていて、ご本人にはまず見えません。
被せ物をしている歯なら、表面は何ごともなかったように見えるのが普通です。
植木鉢にたとえると分かりやすいかもしれません。
素焼きの鉢の底に細いヒビが入っていても、上から見た花はしばらく元気です。
けれど水やりのたびにヒビから土がこぼれ、気づいたときには鉢ごと割れている。
歯根破折も、上から見える部分が無事なまま、見えない場所で傷みが広がっていきます。
抜歯原因の約2割を占め、年齢とともに増える
8020推進財団が2018年に行った「第2回 永久歯の抜歯原因調査」では、抜歯の主な原因として破折が17.8%を占め、歯周病、虫歯に次ぐ3番目でした。
| 抜歯の主な原因 | 割合(2018年) |
|---|---|
| 歯周病 | 37.1% |
| 虫歯(う蝕) | 29.2% |
| 破折 | 17.8% |
| その他 | 7.6% |
| 埋伏歯(親知らずなど) | 5.0% |
| 矯正 | 1.9% |
2005年の前回調査では破折は11.4%でしたから、13年で6ポイント以上増えたことになります。
同じ報告書によると、破折の割合は35歳を過ぎたころから年齢とともに高くなり、女性(18.9%)のほうが男性(16.5%)よりやや多いという結果でした。
虫歯や歯周病で歯を失う人が減り、治療した歯を長く使うようになった裏返しでもあります。
歯を残せるようになった時代だからこそ、今度は「残した歯が割れる」ことへの備えが大切になってきました。
なぜ痛みのないまま進んでしまうのか
神経を取った歯には「警報」が鳴らない
先ほどの調査には、もうひとつ見逃せない数字があります。
神経のある歯(有髄歯)の抜歯のうち、破折が原因だったのは2.8%でした。
これが神経を取った歯(無髄歯)になると26.5%、およそ4本に1本に跳ね上がります。
神経を取った歯は、痛みを感じる仕組みがありません。
火災報知器を外した家のようなもので、小さな火が出ても知らせてくれないのです。
神経が残っている歯なら、ヒビが入った時点で「噛むとピリッとする」「冷たいものがしみる」といった知らせが届くことがあります。
神経のない歯では、ヒビから細菌が入り込み、周りの骨が溶けはじめてから、ようやく腫れや鈍い痛みとして表に出てきます。
レントゲンにも写りにくい細いヒビ
「レントゲンを撮れば分かるのでは」と思われるかもしれません。
実は、歯根のヒビはごく細く、割れた向きによっては通常のレントゲンにほとんど写らないことがあります。
そのため歯科医師は、いくつかの手がかりを組み合わせて判断します。
代表的なのが歯周ポケットの測り方で、歯周病なら歯の周りが全体的に深くなるのに対し、歯根破折ではヒビに沿った一点だけが針を刺したように深くなります。
大阪大学の林美加子先生による総説「救済すべき,あるいは救済できる垂直性歯根破折歯の要件は何か」には、一か所だけ深さ9mmのポケットが見つかり、歯科用マイクロスコープで亀裂を確かめた症例が紹介されています。
同じ論文では、歯科用CT(CBCT)で骨の欠け方を立体的に確認すると、診断と方針決定に大いに役立つとも述べられています。
それでも、被せ物や土台を外して実際に目で見るまで確定できないこともあります。
私も30年以上診療を続けてきましたが、外してみて初めて根の割れ目が見つかり、患者さんと一緒にため息をついたことが一度や二度ではありません。
割れやすくなる歯の条件
林先生の総説では、米国で227本の破折歯を分析した研究と、北海道大学で274本を分析した研究が紹介されています。
米国の分析では40代以上の方の小臼歯や大臼歯に集中し、神経を取った歯が圧倒的に多数でした。
北海道大学のデータでも、上の小臼歯と下の大臼歯に多く見られています。
割れた歯を観察すると、次のような条件が重なっていることが多いそうです。
- 何度も治療をくり返し、根の壁が薄くなっている
- 硬い金属の土台(ポスト)から、根に強い力が集中している
- 接着の弱い詰め物に、長年にわたって噛む力がかかり続けている
- 睡眠中の歯ぎしりや、日中の食いしばりの習慣がある
診療室の実感としても、この4つはよく当てはまります。
特に「根の治療を何度かやり直した奥歯」で、ご本人が歯ぎしりを指摘されたことがある場合は、私はかなり注意して見るようにしています。
見逃したくない歯根破折のサイン
痛みより先に出やすい変化
神経のない歯が割れた場合、強い痛みより「なんとなくおかしい」が先に来ることがよくあります。
次のような変化が続くときは、様子を見ずに歯科医院で診てもらってください。
- 特定の歯で噛んだときだけ、浮いたような違和感や鈍い痛みがある
- 同じ場所の歯ぐきに、ニキビのような小さなできものが出たり消えたりする
- 1本の歯の周りだけ、歯ぐきが腫れたり、押すと膿が出たりする
- 被せ物や差し歯が、ぐらついたり、くり返し外れたりする
- 根の治療を終えたはずなのに、いつまでもすっきりしない
歯ぐきのできものは、膿の逃げ道です。
つぶれて小さくなると治ったように見えますが、原因が残っているかぎり、また顔を出します。
「疲れたときに出るだけだから」とおっしゃる方が多いのですが、疲れのせいにするのは診てもらってからにしましょう。
受診したときに伝えてほしいこと
歯根破折は見つけにくいので、患者さんからの情報が診断を大きく助けてくれます。
受診の際は、次のような伝え方をしていただけるとありがたいです。
「右下の奥の、以前に神経を取った歯です。1か月ほど前から、噛むと少し浮いた感じがします。歯ぐきに小さなできものが2回出ました。家族から歯ぎしりを指摘されたことがあります」
いつから、どの歯で、どんなときに、という3点に、過去の治療歴と歯ぎしりの有無が加わると、こちらが疑うべき病気をぐっと絞り込めます。
メモをスマートフォンに残して、診察室で読み上げていただくのでも十分です。
割れた歯は残せるのか
早い段階なら接着で残す道がある
少し前まで、根が縦に割れた歯は抜歯が当たり前でした。
いまは接着の技術が進み、ヒビが入って間もない段階で見つかれば、割れ目を接着剤で埋めて歯を残す治療も行われています。
| 方法 | どんな治療か | 向いているケース |
|---|---|---|
| 口腔内接着法 | 口の中で根の内側から割れ目を消毒し、接着性の材料で補強する | ヒビが浅く、根の周りの骨があまり溶けていない |
| 口腔外接着再植法 | いったん歯を抜き、口の外で割れ目を接着してから元の場所に戻す | 口の中からは処置が届きにくいヒビ |
| 分割して一部を残す | 根が複数ある奥歯で、割れた根だけを取り除く | 割れていない根が十分に残っている |
| 抜歯して補う | 抜いたあと、ブリッジ・入れ歯・インプラントで補う | 割れ目が深く、骨が大きく失われている |
接着による治療は、保険で行う医院と自費診療で行う医院があり、扱いは医院によって異なります。
治療を受ける前に、費用と見通しをきちんと確認しておきましょう。
残せるかどうかを分ける条件
林先生の総説では、治療前に歯の周りの組織の壊れ方が少ないほど、治療後の成績が良いと示されています。
接着再植法では前歯の成功率が高い一方、根の先3分の1まで及んだ破折の成績は良くありません。
つまり、発見が早いかどうかが、ほぼそのまま「残せるかどうか」を左右するということです。
同時に、総説は接着による保存を「延命処置」と位置づけています。
再び割れる可能性は残りますし、経過が悪ければ周りの骨をさらに失うこともあります。
骨が大きく減ってから抜歯すると、その後のインプラントやブリッジが難しくなる場合もあるのです。
私は患者さんに「残すことだけがゴールではありません」とお話しします。
その歯を何年もたせたいのか、隣の歯や骨をどう守るのか。
歯を失ったあとの補い方まで含めて、歯科医師と一緒に考えていただくのがいちばん後悔の少ない選び方だと思っています。
歯を割らないために、今日からできること
神経をできるだけ残す
歯根破折を防ぐいちばんの方法は、神経を取らずに済ませることです。
林先生の総説も、長年の研究から「歯髄(神経)を保存すること」が最善の予防策だと結んでいます。
深い虫歯でも、症状がなければ神経を残す治療を選べる場合があります。
そのためには、虫歯が小さいうちに見つけることが何より効きます。
痛くなってから駆け込むのではなく、痛くないうちに定期検診で見つけてもらう。
地味ですが、これに勝る方法を私は知りません。
歯ぎしり・食いしばりから歯を守る
日本歯科医師会の「歯ぎしり」のページでは、歯ぎしりを睡眠中に起こるものと、起きている間に起こるものに分けて説明しています。
起きている間には、ぐっと食いしばる癖や、上下の歯を軽く触れ合わせたままにする癖も含まれます。
パソコン作業中や家事の最中に、奥歯が触れ合っていないか、一度意識してみてください。
本来、口を閉じて力を抜いているとき、上下の歯は触れていないのが普通です。
厚生労働省のe-ヘルスネット「歯ぎしり」には、歯ぎしりは自覚症状がないことも多く、治療法としてマウスピースを使うスプリント療法などが研究されていると書かれています。
寝ている間の歯ぎしりはご自分では分かりませんから、ご家族の指摘や、歯のすり減り方で歯科医師が気づくことが少なくありません。
指摘されたら、夜間用のマウスピースを作るかどうか相談してみてください。
神経を取った歯との付き合い方
すでに神経を取った歯がある方は、次のことを心に留めておいてください。
- 氷、飴、硬いせんべい、梅干しの種などを、その歯で噛み砕かない
- 被せ物が外れたら、付け直すまで間を空けない(土台だけの歯は割れやすい)
- 神経を取った奥歯は、歯全体を覆う被せ物で守るのが基本と覚えておく
- 半年に一度は検診で、歯周ポケットとレントゲンを確認してもらう
「治療が終わった歯は、もう安心」ではありません。
神経を取った歯こそ、定期的に様子を見てあげたい歯です。
庭の古い鉢を、ひびが入っていないか春先に点検するのと同じような気持ちで向き合っていただければと思います。
まとめ
歯根破折は、抜歯原因の約2割を占める身近なトラブルです。
特に神経を取った歯は痛みで知らせてくれないため、噛んだときの違和感や、同じ場所に出る歯ぐきのできものといった小さな変化が、数少ない手がかりになります。
ヒビが浅く、骨がまだ保たれているうちに見つかれば、接着で歯を残す道も開けます。
逆に、様子を見ているあいだに骨が溶けてしまうと、選べる治療はどんどん狭まっていきます。
神経をできるだけ残すこと、歯ぎしりから歯を守ること、神経を取った歯を定期的に点検すること。
どれも地味ですが、歯を1本でも多く残すための確かな方法です。
「痛くないから大丈夫」と思っている歯にこそ、次の検診でひと声かけてみてください。