「痛いところだけ治せばいい」。
もしかしたら、あなたもそう思っていませんか。
はじめまして。
歯科医師の大井美智子と申します。
神奈川県の歯科医院で副院長を務め、30年以上、毎日たくさんの患者さんと向き合ってきました。
その長い臨床経験の中で痛感しているのは、「治療がうまくいくかどうかは、実は診察室での何気ない会話にかかっている」という事実です。
私は一人の歯科医として、数え切れないほどの治療に携わってきました。
その経験から断言できるのは、口腔の健康は人生の質そのものを左右するということ。
そして、その鍵を握るのが、カルテの行間にある患者さん一人ひとりの物語なのです。
この記事では、なぜ私たち歯科医があなたとの対話を心から求めているのか、そしてその対話があなたの未来の健康をどう変えるのか、普段はなかなか言えない「診察室の本音」をお話しします。
目次
なぜ歯科医は「歯」だけでなく「あなた」を知りたいのか?
診察室で、歯の痛みとは関係ない世間話をされて、不思議に思ったことはありませんか。
私たちが知りたいのは、単なる歯の状態だけではありません。
あなたの「人となり」そのものなのです。
カルテが語る情報、語らない情報
もちろん、カルテは治療の羅針盤として非常に重要です。
そこには、病名や治療履歴、レントゲン写真といった客観的な「事実」が記録されています。
しかし、カルテには書ききれない情報があります。
それは、あなたの生活背景、価値観、治療に対する不安や希望といった「感情」や「物語」です。
例えば、ご家族の介護をされている患者さんがいらっしゃいました。
その方にとって、頻繁な通院は大きな負担になります。
その事実を知っているかどうかで、私たちは治療計画の立て方を大きく変えることができます。
通院回数をなるべく少なくする計画や、長持ちしやすい材料を選ぶといった配慮ができるのです。
こうした人生の背景こそが、最善の治療法を導き出すための最も重要な情報なのです。
口腔は人生を映す鏡:ベテラン歯科医が見てきた現実
「口腔の健康は人生の質を守ること」。
これは、私が30年間持ち続けている信念です。
お口の中は、その方の人生を映し出す鏡のようなもの。
食生活や生活リズムはもちろん、仕事のストレスや家庭環境まで、驚くほど正直に現れます。
特に多くのご高齢の患者さんを診てきた経験から、対話を通じて生活全体を把握することの重要性を日々感じています。
お口の機能が衰えると、食べる楽しみが減り、会話も億劫になり、社会とのつながりが希薄になってしまうことさえあるのです。
だからこそ私たちは、あなたの人生に寄り添い、お口の健康を通じて、あなたらしい豊かな人生をサポートしたいと考えています。
科学と生活をつなぐ視点:口腔フローラと土壌の意外な関係
少し、私の趣味の話をさせてください。
私は休日に庭で土いじりをするのが好きなのですが、最近、口腔環境と土壌には不思議な共通点があると感じています。
良い野菜を育てるには、ふかふかで栄養豊かな「良い土壌」が不可欠ですよね。
そこには多種多様な微生物が生きていて、互いにバランスを取り合っています。
実はお口の中も同じで、数百種類もの細菌が暮らす「口腔フローラ」という生態系が広がっています。
良い土壌が良い作物を育てるように、バランスの取れた良い口腔環境が良い健康を育むのです。
患者さんとの対話は、いわばあなたの「生活という土壌」の状態を理解するための時間です。
どんな食生活を送り、どんな毎日を過ごしているのか。
それを知ることで、私たちはあなたの口腔環境をより良くするための、最適なアドバイスができるようになるのです。
30年の臨床で実感。対話が治療の成果を劇的に変えた瞬間
言葉の力は、時としてメスやドリルよりも大きな治癒力を持つことがあります。
ここでは、対話が治療の行方を大きく左右した、忘れられない二つのケースをご紹介します。
「実は…」の一言が抜歯を救ったAさんのケース
Aさんは、ひどくグラグラする奥歯の治療で来院されました。
レントゲンを見ても状態はかなり悪く、いくつかの検査結果も、抜歯が妥当であることを示していました。
しかし、抜歯の選択肢をお伝えした時のAさんの悲しそうな表情が、私の心に引っかかりました。
治療方針に悩みながら何気ない会話を続ける中で、Aさんがポツリとこう漏らしたのです。
「実は最近、仕事のストレスで夜中に歯を食いしばっているみたいなんです」。
この一言が、すべてのピースをつなげました。
私たちは急遽、就寝中の歯ぎしりから歯を守る「ナイトガード」という装置を作成。
併せて、歯周病の治療を徹底的に行いました。
すると、あれほどグラグラだった歯が、数ヶ月後には驚くほど安定したのです。
もしあの時、Aさんとの対話を諦めていたら、大切な歯を一本失わせてしまっていたかもしれません。
治療が中断…対話不足が招いたBさんの後悔
一方で、苦い経験もあります。
Bさんは、複数の虫歯を抱えた患者さんでした。
私は、理想的と思われる治療計画を立て、その内容を説明しました。
しかし、私の説明が専門的すぎたのかもしれません。
Bさんは黙って頷いていましたが、その表情には戸惑いの色が浮かんでいました。
そして、数回の治療の後、Bさんは通院を中断してしまったのです。
後日、副院長としてこのケースを振り返り、深く反省しました。
私は「説明」はしましたが、Bさんの不安や疑問を解消するための「対話」が決定的に不足していました。
インフォームドコンセントとは、単なる「説明と同意」ではありません。
患者さんと医療者が同じゴールを目指すための、相互理解のプロセスなのです。
副院長として見る「チーム医療」と対話の役割
歯科治療は、歯科医師一人で行うものではありません。
歯科衛生士や受付スタッフも、あなたの健康を支える大切なチームの一員です。
特に歯科衛生士は、お口のクリーニングなどを通じて、あなたと最も長く接する専門家です。
医師には言いにくいことも、衛生士になら話せるという方も少なくありません。
受付での何気ない会話から、あなたの体調の変化に気づくこともあります。
私たちは、そうしたスタッフ全員からの情報を共有し、医院全体であなたをサポートする「チーム医療」を大切にしています。
どんな些細なことでも、ぜひスタッフに声をかけてみてください。
患者さん、遠慮しないで!歯科医が本当に聞きたいこと
「こんなことまで話していいのだろうか…」。
そう遠慮してしまう気持ちは、よく分かります。
でも、どうかあなたの声を聞かせてください。
私たちが本当に知りたいのは、次のようなことです。
治療の希望:「どうなりたいか」を教えてください
私たちは、常に複数の治療選択肢を頭に描いています。
その中からあなたにとってのベストを選ぶために、ぜひ「どうなりたいか」という希望をお聞かせください。
- 「見た目が気になるので、銀歯は避けたい」
- 「将来のために、なるべく自分の歯を残したい」
- 「とにかく、早く痛みだけ取ってほしい」
あなたの価値観が、私たちの提案の質を大きく左右するのです。
過去の経験:怖い、痛い…昔のトラウマも大切な情報
「歯医者が怖くて、何年も足が遠のいていた」。
そう打ち明けてくださる方は、決して少なくありません。
過去の歯科治療で経験した嫌なこと、痛かったこと、怖かったこと。
それらは、治療計画を立てる上で非常に重要な情報です。
例えば、麻酔の効きが悪かった経験があるなら、麻酔の方法を工夫したり、時間を長く置いたりといった配慮ができます。
あなたのトラウマに寄り添うことも、私たちの仕事の大切な一部です。
日常のささいな変化:実はそれが診断のヒントになる
あなたにとっては些細なことでも、私たちにとっては診断の大きなヒントになることがあります。
- 「最近、食べ物が歯に挟まりやすくなった」
- 「朝起きると、口の中がネバネバする」
- 「口が乾きやすくて、話しにくいことがある」
こうした小さな変化は、自分では気づかないうちに進行している病気のサインかもしれません。
早期発見・早期治療につながる貴重な情報を、ぜひ私たちに教えてください。
上手な「質問」があなたを守る。後悔しないための対話術
対話は、私たちからの一方通行では成り立ちません。
あなたからの「質問」は、治療をより良い方向へ導き、あなた自身を守るための強力な武器になります。
治療の選択肢:「他に方法はありますか?」と聞いてみよう
もし、提示された治療法に少しでも疑問を感じたら、勇気を出してこう尋ねてみてください。
「先生、他に方法はありますか?」
この一言は、魔法の言葉です。
あなたが治療に積極的であることが伝わり、私たちも「もっと丁寧に説明しよう」「他の選択肢も提示しよう」という気持ちになります。
そこから、より良い治療法が見つかることは少なくありません。
費用と期間:「ゴールまでの地図」を一緒に描く
治療には、どのくらいの費用と期間がかかるのか。
それは、誰にとっても大きな関心事だと思います。
治療が始まる前に、ぜひゴールまでの全体像を確認しましょう。
「すべての治療が終わるまでの、おおよその費用と期間を教えてください」。
そう質問することで、私たちはあなたと一緒に「ゴールまでの地図」を描くことができます。
予期せぬ出費や長引く治療への不安が解消され、安心して治療に専念できるはずです。
メモの活用:伝えたいこと、聞きたいことを整理する
診察室では緊張してしまい、言いたいことの半分も言えなかった…。
そんな経験はありませんか?
そこでおすすめしたいのが、「メモの活用」です。
受診の前に、伝えたいことや質問したいことを箇条書きにしておくだけで、驚くほど対話がスムーズになります。
私たちにとっても、要点が整理されていると非常に助かります。
限られた時間の中で、的確なコミュニケーションをとるための、とても有効な方法です。
よくある質問(FAQ)
最後に、患者さんからよくいただく質問にお答えします。
Q: 先生が忙しそうで、なかなか質問できません…
A: お気持ちはよく分かります。
しかし、30年の経験から言えるのは、私たち歯科医は質問されることを心から歓迎しているということです。
もし直接話しにくい場合は、治療の最後に「少しだけ質問いいですか?」と切り出したり、歯科衛生士や受付に相談したりするのも良い方法です。
事前にメモを渡していただくのも大変助かります。
Q: 専門用語が難しくて、説明がよく分かりません。
A: それは100%、私たちの説明が未熟なせいです。
どうか遠慮なく、「今の言葉、どういう意味ですか?」「もっと簡単な言葉でお願いします」と、その場で話を中断させてください。
患者さんが完全に理解し、納得することが治療の第一歩です。
私も日頃から、趣味の園芸の話に例えるなど、分かりやすい説明を心がけています。
Q: 治療方針に納得できない場合、どうすればいいですか?
A: まずは、なぜ納得できないのか、どの点に不安を感じるのかを正直にお話しください。
あなたの気持ちを伺うことで、別の治療法を再提案できるかもしれません。
それでも不安が解消されない場合は、セカンドオピニオンを求める権利があります。
これは、あなたの大切な体を守るための正当な権利です。
信頼できる別の歯科医を紹介することも可能ですので、どうか一人で抱え込まずにご相談ください。
Q: ネットの情報と先生の説明が違うのですが…
A: 素晴らしい視点です。
ネットには様々な情報がありますが、必ずしもあなたの口腔状態に当てはまるとは限りません。
情報の違いについて疑問に思われた点は、ぜひ質問してください。
なぜあなたの場合は違うのか、診断の根拠を丁寧にご説明します。
一緒に正しい情報を共有し、最適な治療法を見つけましょう。
Q: 治療中に痛みを感じたら、我慢すべきですか?
A: 絶対に我慢しないでください。
痛みを我慢すると体に余計な力が入り、かえって治療がしにくくなることもあります。
私たちは、あなたが痛みを感じていないか、常に注意を払っています。
麻酔の追加など、すぐに対処しますので、少しでも痛みを感じたら、手を挙げるなど、遠慮なく合図を送ってください。
まとめ
30年以上、数多くの患者さんのお口の中を拝見してきましたが、一つとして同じ口はありませんでした。
それは、一人ひとりの人生が違うからです。
カルテに書かれた病名だけを追いかけていては、本当の意味でその人を健康にすることはできません。
診察室での対話は、治療を成功に導くための最も重要なプロセスであり、あなたの人生の質を守るための共同作業です。
どうか、あなたの物語を私たちに聞かせてください。
次の診察では、ぜひ「先生、実は…」と話しかけてみてください。
その一言が、あなたの未来をより良く変えるきっかけになることを、私は知っています。